興浜北線・興浜南線|浜頓別-北見枝幸 — 雄武-興部(国鉄 時刻表・路線図)北海道廃線⑤⑥

ガチの乗り鉄だった時代(中学1年~高校1年)のネガフィルムをデータ化。

北海道は高1の夏休み(1983年8月)に全線乗りました。まずは、

1970年の路線図です。

(⇔スライドします

美幸線から松前線まで、この番号順にやる予定。

白糠線だけフライングして先出し。あと、瀬棚線とか岩内線とか、写真が見つからなかった路線はナシ。どこかにありそうだが、フィルム切れかも?

乗ったのは1983年なので、上の路線図とは一部異なる部分あり。

国鉄は白糠線が上茶路まで、石勝線未開通、根北線(斜里-越川)が廃止前だったりします。歌登、夕張、羽幌など、私鉄系がまだ残ってますね。

では、興浜北線から。(1983年8月)

開業 1936年7月10日
廃止 1985年7月1日

興浜線は、天北線の浜頓別からオホーツク海沿岸を南下、枝幸を経由して雄武、その先興部で名寄本線に接続する計画だった。北見枝幸には美幸線も接続計画があり、こちらも未成線に。

1983年(時刻表は1982年・切り貼り)当時は6往復。1970年版も確認したけど、ほとんど同じダイヤだった。仮乗降場が3つある。

音威子府4:16というのも昭和っぽくて良いですねー。今は都会でもそんなに働きません。

全列車がすぐに折り返してますね。気になったのは、15:26発の右に「変」とあり、到着が16:17。これ、上りの発車時刻と同じだ。上りの「変」をつけわすれたのかw

北見枝幸

Mapは「一級食堂」さん。
敬愛する宮脇俊三の著作に、北見枝幸駅前の食堂として描写があります。ちょうど自分が旅をした年と同じ1983年。乗り合わせたらビックリだな!

旅の終わりは個室寝台車」に出てくるんだが、刊行は1984年。全部読んでいた時代なので、発売されていれば行ったのになあ。

続いて興浜南線。

開業 1964年10月5日
廃止 1985年9月17日

北見枝幸からバスで未成線区間を走り、雄武に抜けます。

当時の時刻表によると、所要1時間15分。残念ながら、

興浜北線との接続はあまり考えられていないですね。

自分も(ネガフィルムの順番を見ると)バスに乗らず、それぞれ折り返しています。

北線と合わせたわけではなかろうが、こちらも6往復。仮乗降場は2つ。

弁当の欄に人口が書いてあるのが謎w いかずし弁当食べたい。

駅名は「おむ」だが、町名は「おうむ」。

南線は短いので30分で興部に着きます。

ちょっと話を拡大して、浜頓別で接続する天北線。急行でも2時間30分かかる長大路線。

オホーツク海の最北部(日本では)と猿払原野を走る素晴らしいローカル線だったが、1989年に廃止。

興浜北線の車輌を併結しているのは萌えますなー。「飛行場前」(陸軍の浅茅野第一飛行場が由来)とかも。で、

「オホーツク縦貫鉄道構想」
「オホーツク本線」

というのがありました。南稚内-網走で335km

稚内-天北線-興浜北線—興浜南線-名寄本線-湧網線です。先に廃止された「根北線」まで含めると、釧網本線-根北線(斜里-越川)—根室標津。いやーーーー

ロマンの塊。

はあ。妄想で我慢します。

時刻表は1970年10月改正のもの。2往復!

1970年12月1日廃止なので、瀕死のタイミングですなー。あたしは3歳。乗ってませんw

最後に。
20日間、目一杯使ったこれ、、、

北海道ワイド周遊券。当時の時刻表によると、

学割で23,300円(20日間有効)

東京から。10月から冬季2割引。凄い切符がありました。これがなければ高1で全線乗るとか無理だったなあ。

B寝台に乗らず自由席なら夜行急行に乗り放題なので、宿泊費はタダ同然です。

大雪や利尻に乗り、上川や士別で上り⇔下りの乗り換えとかしてました。そういう大人がたくさんいた時代ですw あたしはガキでしたが。

北海道廃線シリーズ、続きます。

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