北海道は高1の夏休み(1983年8月)に全線乗りました。まずは、
1970年の路線図です。


(⇔スライドします)
美幸線から松前線まで、この番号順にやる予定。
白糠線だけフライングして先出し。あと、瀬棚線とか岩内線とか、写真が見つからなかった路線はナシ。どこかにありそうだが、フィルム切れかも?
乗ったのは1983年なので、上の路線図とは一部異なる部分あり。
国鉄は白糠線が上茶路まで、石勝線未開通、根北線(斜里-越川)が廃止前だったりします。歌登、夕張、羽幌など、私鉄系がまだ残ってますね。

では、名寄本線。
開業① 1915年11月1日(湧別線・遠軽-開盛)
開業② 1919年10月20日(名寄西線・名寄-下川)
開業③ 1921年3月25日(名寄東線・中湧別-興部)
全通① 1916年11月21日(遠軽-湧別)
全通② 1921年10月5日(名寄-中湧別)
廃止 1989年5月1日
※駅名は改称後のもの
全通時は、札幌・旭川⇔網走・北見のメインルート。
石北(本)線の全通が1932年10月なので、11年間は役割を果たしたことになる。




1983年の道内時刻表。
当時は一日2往復の「湧別支線」にご執心で、名寄本線自体の思い出(写真も)がほとんどないのですー。残念。

中湧別 7:08発か17:22発か。
ネガフィルムの順番を見ると、相生線→湧網線→湧別支線。網走14:49-湧別17:30(直通)ですな。

湧別。開業時は下湧別。

湧別駅です。
一日2往復なのに、無人化されたのが1986年って凄いですね。
駅長さんに話を聞いてみたいw

みんな大好き四号線!

遠軽駅近影(2019年)。
20代、科学雑誌の編集をやっていた頃の話。紋別で取材があり、泊まって呑んでの翌朝に高熱。バスで遠軽まで出て、旭川までの列車を待つ間(待合室で)死んでいたのを思い出す。滅多に熱など出さんのに、あれはキツかった。。。
さて、本線らしく急行の話でも。

1983年時点では急行「紋別」が走っていました。
で、1970年の時刻表。


急行「天都」(興部-釧路)がいる!
遠軽で「大雪」に併結されて網走へ。そのまま釧網本線を南下していました。たまらん。
あと地味に、渚滑=駅弁+電報の打てる駅(みどりの窓口マークではないです)、興部=駅弁、紋別=何もなし。微妙な差が面白いっす。名寄も電報打てないみたい。
湧網線もさらっと。
開業① 1935年10月10日(湧網東線:網走-卯原内)
開業② 1935年10月20日(湧網西線:中湧別-計呂地)
全通 1953年10月22日
廃止 1987年3月20日

計呂地。駅はそのまま計呂地交通公園になっている(下のMap参照)。
このあたりの駅名(地名)も好き。wikiによると諸説あるようだが、アイヌ語の「ケイ・ラツ」(サケの皮で作った靴を忘れた所)だそう。変なのw
両隣の「志撫子」と「浜床丹」も良き。どちらも仮乗降場です。

車窓から。サロマ湖、オホーツク海、能取湖、網走湖のどれか。水辺多すぎw
1983年、乗車当時の時刻表。


湧別の上下計4本のうち、3本が湧網線から直接入っているのが分かる。もう湧網線でよいのにねえ。
最後に、時刻表ファン向けの話をひとつ(wikiに載っていてびっくりだが)。
網走-北見-遠軽(石北本線経由・113.2km)
網走-中湧別-遠軽(名寄本線・湧網線経由・106.0km)
距離が短いのも肌感としては意外ですが、1970年の時刻表。
最終の湧網線、網走20:47発-23:50遠軽着(直通)。
一方、最終の石北本線は網走20:28発で北見まで普通扱い、大雪6号になって23:54遠軽着。19分早く出て、4分遅く着く。

夜行の大雪はのろいというのもあるけど、なかなか痛快です。
最後に。
20日間、目一杯使ったこれ、、、

北海道ワイド周遊券。当時の時刻表によると、
学割で23,300円(20日間有効)
東京から。10月から冬季2割引。凄い切符がありました。これがなければ高1で全線乗るとか無理だったなあ。
B寝台に乗らず自由席なら夜行急行に乗り放題なので、宿泊費はタダ同然です。
大雪や利尻に乗り、上川や士別で上り⇔下りの乗り換えとかしてました。そういう大人がたくさんいた時代ですw あたしはガキでしたが。

北海道廃線シリーズ、続きます。













